僕の写真にテーマはない。強いてあげれば「片隅の記憶」。

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Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

InstagramやTwitterで他の人の写真なんか見てると、ほんとみんな上手いなあと思うし、ちょっとゾクっとする写真を撮る人たちは何かしらテーマみたいなものの存在を感じる。それからすると、僕の写真は控えめに言っても失敗写真が混ざり合ってまさに雑多、テーマらしいテーマも実際無い。でも、ちょっと考えてみた。探せばなんかあるんじゃないかと。テーマらしきものが。で、ふと思ったのが

「片隅の記憶」

まあ記憶の片隅にあるもの、でもいいんだけど、要は記憶のメインのものではない写真たち、ということ。考えてみると、僕が写真を撮っている時というのは、ふと空いた時間なんだ。空いていない時間、つまり記憶のメインになるような瞬間はその場の空気を楽しんでるから、カメラなんて構えていない。カメラを構えるのは、メインではない時間なんだ。だから、じぶんの写真のことを強いてあげれば「ほんの片隅の記憶」ということになるなと。

でも、それはメインじゃないから寂しい話かというと、そういうわけでもなくて、放っておいたら数日後にはすっかり忘れて消えてなくなりそうな記憶の片隅の事象を、こうやってスナップにおさめておけば、後から写真を見た時に記憶として思い返すことはできる。その時の天気とか気温、音や風、フレームの外の光景なんかをじんわりと思い返すことができる。それは凄くはないけど、意外と素晴らしいことなんじゃないかと思ってる。

まあ強いてあげればという話であって、実際はシャッターを切るのが好きだからもっと無意識にスナップしてるんだけどね。でも、じぶんを客観視した時にそういう気分みたいなものはどこかあるな、という話。最近、Leica IIIaを手に入れてから、夜の街もフィルムでスナップするようになった。夜の街なんてフィルムの感度で撮れるはずがないという先入観があって、これまではほとんど夜間はコンデジのRICOH GRで主にモノクロで撮ったきたんだけど、カラーネガフィルムで撮る街は僕の想像を超えて美しかったし、人間っぽかった。

息を止めさえすれば、ミラーショックのないレンジファインダーなら夜もシャッターが切れる。このことが週末用になっていたLeica M3までも平日のスナップ用カメラとして持ち出すに至った。夜のカラー写真が増えてますます雑多でノンテーマ感が増してるようにも思うけど、これが僕のその時々の片隅の記憶だから、そこは少々ボケていようが、構図が不安定であろうが、どんどんブログやSNSにポストしていこうと考えている。IIIaとM3を持って街の中へ埋もれ、それこそ街の片隅でじぶんの片隅の記憶を撮る。その先に何かあるわけでもなんでもないけど、僕のリズムとしては今、とても気持ちがいいんだ。

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