今を共有するならスマホ。思い出に残すならカメラ。

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Velvia100, Provia100F, Velvia50, Ektar100

きのう現像出ししてきたフィルムたち。三本はリバーサルフィルム、一本はKodak送りのEktar現像、共に現像に2週間ほどかかる。スピードが求められる現代において、これだけ仕上がりに時間がかかるものも今となってはめずらしい。

現代はSNSが空気のように当たり前になった時代。事件やニュースは手のひらの中のスマホに瞬時に飛んでくる。地球の裏側のこともリアルタイムでつかめるというのは便利だし、どこに住んでいようとも時代に置き去りにされる感じは今はしない。そういう意味ではスマートフォンは素晴らしい装置だし、そこに搭載されたカメラは「今を共有することに関しては、最高のカメラ」と言える。そんな先進的なカメラを常に持ち歩いているのに、なぜ、この撮った写真を見るのに2週間も要するカメラを別途持ち歩く必要があるのか。

究極をいえば、持ち歩く必要はない。無くても生きていける。いや、無い方がお金もかからないし、古いカメラを修理する手間なんかも必要ない。それでも、多くの人が手間のかかるカメラに魅せられる。なんなんだろうね、この現象は。タイトルには「思い出に残すならカメラ」と書いたけど、そんなひと言では言い表せない、カメラをやる理由みたいなものが僕らの頭や気持ちの中には浮遊している。それも、ふわりというよりはもっと強く激しくだ。

ただひとつ言えるのは、一眼レフやレンジファインダーといったカメラを所有して写真を撮るという行為は、ひとを少し思案させたり、文化的にさせたりするということ。読書とか絵画に近い何かがある。ひとを創造的にするということかな。写すだけならスマホカメラでもいいけど、写すとか簡単じゃない何かがカメラにはある。その答えみたいなのを追い求めながら人生を撮り続けることこそがカメラの魅力であり魔力なのかもしれない。

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