世の中はちょっと複雑になりすぎたから。

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近ごろは体内露出計も備わってきて、目の前の光景を見た時にだいたいの露出が分かるようになってきた。感度100で快晴のとき、シャッタースピード1/250の時に絞りF11が基本にしてるかな。そこから曇りや屋内とか光の減少分を、絞りを開けたりシャッタースピードを確保したり、そんな感じ。分かりやすい天気の時はだいたいOKだけど、少し悩ましい時には撮った後に露出計アプリで確認したり笑。まあでも一枚一枚露出計をとりだして計ることは減ったきたかな。にんげん、なんでも続けてみるもんだと妙にカンシンカンシン。

こうなってくるとフルマニュアルカメラで撮るのはとてもシンプル。特にレンジファインダーだと、そもそも寄りは撮れないからピントはだいたい無限遠のスナップ。それにブライトフレームもだいたい切りとるって感覚だから、となると写真を撮るのはシャッターを押すだけ、ということになる。そのほかには余計な機能はないし当然操作もない。フィジカル的にはコンデジよりシンプルな感覚が僕にはあるな。ふだん知らず知らずのうちにもがくような複雑さの中で僕らは生きているようなところがあると思っていて、そうすると週末にこうしてシンプルな機械式カメラを触ると実に気持ちがいい。フィルムブームが少なからずあるのは、この時代の反動かもしれないね。

それに対して、機械式カメラが開発された当時のひとたちはどんな気持ちで写真を撮っていたのだろう、とか気になって、CAMERA magazineの「昔の名作に学ぶ」特集記事や、菅原一剛さんの「写真がもっと好きになる。-写真を観る編-」を読んだり眺めたりしている。いまの時代の複雑さとはまた異なる、でもからだを突き動かす何かがその時代にも存在したんだろうなとか考えながら。半世紀以上も前の出来事が21世紀とシンクロする感覚はおもしろいし、その時代のカメラがこうして現役で手元にあるのも不思議な感覚だ。そんなことを思い巡らしながら空シャッターを切ったり、フィルムを巻き上げたり、ボディの凹凸を手や指先で確かめたり。やっぱりクラシックなカメラとフィルム写真は楽しいよね。

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