ライカの可愛さと狂気。

Leica M3, Elmar M 50/3.5

昨夜あたりからTwitterを眺めていると「#バルナックはいいぞ」というハッシュタグと共にカメラ好きたちの思い思いのライカを写した画像が流れてきて、あゝライカ愛されてんなあとつくづく感じた。いや、ライカだけじゃないだろうけど、特にライカは溺愛されてる感じはやはりある。

あれって何なんだろうなと思うわけだけど、カッコいいとか凄みとかそういう正統派のこだわりだけではそういう現象は起きないよなと。そこには少し人間の本能を揺らす要素、僕には「可愛さ」とか「狂気」とかが絶妙にまじってるから人々はやられると思ってる。まあ、僕もそのあたりにやられたクチではあるんだけど笑。

なんというか人間と同じで、美人とか秀才とかそういうものとは異なる部分でいわゆる人気なひとっているよね。凄くクリエイティブかといえばユニークさも持ち合わせていたり、クールに見えて実はチャーミングさが多分に垣間見えたり。なんかそういう部分の、分かりやすいものとは少し違う成分がライカには入っている気がする。じゃなかったら、ひとはあそこまで首ったけになったり、その歓びみたいなものを人々に伝えようとしたりはしない、きっと。

それは、撮れる写真にも感じていて、ライカのボディやレンズで撮れる写真は精巧というより隙がある。でもその隙が人間らしさみたいなものを内包して、見る人、撮る人を魅了する。これが計算されたものならライカの科学はすごいぞと思うけど、それは作られたものというよりは、作り手の愛情みたいなものが滲み出た結果なんじゃないかと思うけど、どうだろう。それが伝染してか、ライカ好きな人たちはとてもピュアだ。決してライカをじぶんのアピールに使ったりはしない。もっと無垢な感じで惚れ、それを人々へ伝えようとしてると思う。そういうブランドはやっぱり強い。ブランドはこしらえるものじゃなくて、結果積み上がるものなんだよなと、あらためて。

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