ブログはその時々の興味の軌跡。

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このブログは2年前の夏から書き始めた。タイトルは意外とすぐ思いついて、好きな言葉の「記憶」と当時始めたばかりの「カメラ」という言葉をくっつけて「記憶カメラ」とした。すごく普通の言葉の足し算なんだけど、検索してみるとそんな言葉は誰も使っていないし、URLドメインも誰も使用していなかった。で、ブログ開設と同時にTwitterとInstagramにも同タイトルのアカウントを開設した。当時はたしか説明文に”ファインダーを通したもうひとつの目で、日々遭遇するモノとかコトを記憶したいと思った”、そんな風に書いていたと思う。

ブログを始めた頃に使っていたカメラは、Nikon D5300から買い換えたばかりのフルサイズ機Nikon D750とコンデジNikon Coolpix P340、そしてRICOH GR。レンズは50mm/f1.8、70-300mm、24-120mm/f4ナノクリだったかな。その後、レンズはMicro 60mm/F2.8ナノクリが加わり、ボディは超望遠のNikon Coolpix P900が加わる。平日はGR、週末は一眼レフなどNikon機を使い分けながら、どんどんカメラにハマっていき、そんなカメラたちとの日常をなんとなくブログに記していった。その後、最初の転機がやってくる。GRを一台残して、その他すべてのカメラとレンズを手放すのである。

理由は、端的にいえばロードバイクとの時間を増やしたかったのと、増えすぎたカメラやレンズとで、じぶんの時間がどれにもフォーカスできず散漫になっていたこと。いま考えると断捨離というやつだったのかな。そこから一年ほどRICOH GRだけを持ち歩き、ひたすら広角28mmの世界を追求することになる。苦手だった広角が好きになったこと、苦手だった縦構図が苦じゃなくなったこと、そしてモノクロ撮影に魅せられていったのもこの時期だ。いま思うとこの時期は僕にはとても必要なプロセスだった。その頃かな、首のあたりにヘルニアの傾向が見られたのと高血圧の症状があったから何か改善生活を始めなきゃというのと、ロードバイクとRunの興味がさらに発展してトライアスロンを意識し始め、カナヅチだったにも関わらず水泳を始めた。

そしてカメラはGRだけでこのまま過ごしていくんだろうなとじぶんでも思っていたんだけど、ある日、なぜか立ち寄ったカメラのキタムラの中古カメラコーナーで、フィルム一眼レフのNikon FEと目が合う。ここが、次なる転機になるのかな。FEと目が合うといっても、正確にいうと、用がないとその中古コーナーには立ち寄るはずがないので、心のどこかでフィルムカメラへの興味があったんだと思う。僕の身の回りにはフィルムをやってる人はいないから、その興味はきっとTwitterのフォロワーの人たちのフィルム写真やカメラだったんだろう。目があったFEはその日のうちに買って帰り、その週末恐る恐る試し撮りを行う。使い方なんてまったく分からないからキタムラの店員さんに簡単に教えてもらった手順とYouTubeの説明動画なんかを頼りに撮り始める。そして初めての現像体験。そして、現像があがってきた時の軽い衝撃。いや、軽くなかったな、かなりの衝撃を受けたといっていい。少々ぎこちないクラシックカメラで、普通に憧れたフィルム色の写真がじぶんにも撮れたことに本当に驚いた。あと、撮った写真をその場で確認できない不便なワクワクさなんかも衝撃的だった。それ以来、すっかりフィルムカメラの魅力にハマり、Leica M3、Nikon F2、もう一台のFEに、Konica C35とフィルムカメラが増えてゆく。そして、僕の興味は単にフィルム写真ではなくて、フィルムカメラならではのマニュアル撮影やオールドレンズへと移ってゆく。

そうして再びデジタル一眼レフに帰ってきた。中古でNikon D300を手に入れ、初めてデジイチをマニュアルで撮り、その感触を確かめる。その感触は間違いなかった。デジタルでもマニュアル撮影なら、フィルムカメラと同じように以前とは異なるデジカメ体験が楽しめる、そう確信したんだ。そして満を持して現行フルサイズ機Nikon Dfを購入する。数ヶ月前には思いもしなかったデジタル一眼レフの復活である。ただし、D750の頃と異なるのは、カメラ任せにしなくて可能なかぎりマニュアルでカメラと共同作業のように写真を撮り始めたということ。レンズは主にMF単焦点、28mm、35mm、50mm、そして43-86mmというズームも加わった。カメラやレンズは増えたけど、以前のように増やしすぎたという感覚はない。カメラを操る楽しさを覚えると、その時々でカメラやレンズを替えて写真の変化や気分転換を楽しむことは自然の成り行きというか、とても軽快で豊かなものになった。

ざっと駆け足で書くと、これが僕のカメラとの軌跡だ。そして、このブログは僕がその時々に感じたこと、行動に起こしたこと、その結果次へとつながったものなんかが、一タイトルに一枚の写真、一つの文章で綴られている。いま振り返ると多少今とは異なる考え方の記事も少なくないけど、それはその時々の僕のリアルなあり様だから、書き直したり加筆は基本していない。そうした過去のブログをアットランダムにTwitterにポストするように設定しているから、毎日流れてくる過去ブログに僕自身も懐かしくハッとすることが少なくない。ブログは単なる日記じゃなくて、僕にとっては記憶の軌跡。書き始めた頃は100話もいけばいいかなくらいに思ってたけど、水があっていたのか今では1400話を超えた。大したことは何ひとつ書いていないのに、それで1400話も書いてしまうじぶんを、ある意味リスペクトしたり。それもこれも、続けられているのはカメラがあるからだと思う。カメラの奥深さ、写真の奥深さ、そしてそこから得られる気づきや発見、いろんな要素が僕に終わりのない探究心を与えてくれた。人生、何が日々を変え始めるか分からない。僕の場合はカメラがそうしてくれたように。そういえば、ロードバイクを始めたのも一眼レフと遠出したかったからだし、スイムはそのロードバイクの延長線上、そして近ごろ一緒に暮らし始めた愛犬も散歩カメラのたどり着いた先のような気がしている。おもしろいよね、出会いって。そして、それをブログに残していくということは、密かに僕がみんなにおすすめしたいことでもある。

「ブログはその時々の興味の軌跡。」への3件のフィードバック

  1. こんにちは。
    私は普通にフィルム時代から撮っているので、こういった体験はありませんが、私が未だにデジカメに移行出来ないのと本質は同じなのだろうなと思います。

    私なりの結論は、デジタルカメラとフィルムカメラは完全に「似て異なるモノ」です。

    言うなれば、毛筆画とペン画の様なモノで、どちらが良いとかそういった類ではなく、同じ文字による表現とはいえ、別の世界があるという感覚です。
    ある意味、今はどちらも低い敷居で楽しめる丁度良いタイミングなのかもしれませんね。

    普段毛筆で字を書く事が無い現代人でも、済と筆がなくならない様に、フィルムと暗箱がなくならない事を祈っています。

    1. コメントありがとうございます^ ^。できあがるものはもちろん違うのですが、カメラで撮る行為のおもしろさはちょっぴり僕の中では共通項というか、ブリッジみたいなものを見つけつつあります。もう少しそのあたりを探っていきたいなと考えています。

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