フィルムライカとは気取っていない。

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Leica M3, Planar T*2/50 ZM

僕のライカはフィルムライカで、いわゆるM型の一号機であるLeica M3。うまく言えないけど、このM3ほど手にする以前と今とでは印象が違うカメラはそうない。ライカといえば多くの人が高価でどこか気取ったカメラだという印象を持ってるんじゃないかな。僕も手にするまではそうだった。正確にいえば今でもそのオーバークオリティといえる作り込みの凄さは流石M3だと唸るものがある。でも撮ってる時間や撮れる写真はごくごく普通で自然体、むしろ気取ってるというよりは気さくなカメラといったほうが近い気がする。

辺りの人々にカメラで撮ってることを感じさせない存在感はその最たるものだし、ファインダーの中の世界も一眼レフの劇場感に比べると、目の前の光景がガラス越しに見えているに過ぎない。とにかくその撮影する心持ちとしては、特別感というよりは日常感、いい意味で普通なのである。僕はM3しか所有したことがないからデジタルライカのことはよく分からない。なによりデジタルライカは途方もなく高価で、それを普通と呼ぶにはいささか無理がある。でもM3はそんなことはない。1955年に登場した頃は日本でいうと家が一軒買えるような値段だったかもしれないけど、それから60年超、いまではデジタルカメラのいいものを手にするより安く入手できるくらい身近になった。もちろん、60年前のカメラにそれほどのお金を費やすなら、新品の最新デジタルカメラを手にした方が安心感もある。でも、とにかくそこまで身近になったフィルムライカは決して気取った存在ではないんだ。

正確にいえばフィルムライカはそのボディよりもレンズが高価になりやすい。田中長徳さんに言わせれば真の優れたレンズはElmarだと言うが、それだとあまりにスタンダード過ぎて通な人たちにはなかなか理解してもらえないらしい。そうすると、どんどんレアで高価なものへと志向が飛んでしまう。でも、ここにも気取らないライカの包容力はあって、フィルムライカに装着可能な手頃なレンズは実にたくさん存在するのである。そう、要は所有する人のライカを崇める度合いの違いだけ。奉るんじゃなくて、フレンドリーに接すればそれに応えてくれるのが現代に生きるフィルムライカなんだ。僕はそう思うようになった。

僕なんかはフィルムすらいちばん安いFUJI業務用100をM3に入れている。たまに感度が欲しい時はFUJI PRO400Hを使ったりもするけど、大抵は業務用100。それでもライカは実に寛大に受け止めてくれる。かしこまらず、ラフに使おうとする僕にしっかりとラフに応えてくれる。僕の写真のベースは週末の近所の散歩カメラで、街中のかっこいいスナップを撮るわけでもなんでもないけど、少なくとも僕にはライカはそれはそれでありふれた日常の記憶にちゃんと付き合ってくれるんだ。M3を使い続けて思ういちばんの驚きは、このフィルムライカの普通の日常に寄り添ってくれる包容力かもしれない。まあ、それでもまだ僕はライカのラの字くらいしかかじっていないから、真の気取ったライカのポテンシャルを引き出せていないだけかもしれない。もう何度かはいい意味で想像を裏切られそうな深さを持ち合わせていそうだけど、現時点での僕のフィルムライカに対する向き合い方の感想として、ブログに記しておこうと思った。

なにより、カメラは使い手次第だ。僕はそういう日常使いだけど、別の人であればまた違ったシチュエーションでフィルムライカを謳歌するだろう。でも、いかなるシチュエーションであれ、このフィルムライカは気負うことなくしなやかに順応するんじゃないかな。そんな気がする。気取ってるというよりは、実に気さくなんだ。きょうはフィルムで撮らなかったから、明日はLeica M3かNikon F2で1〜2本フィルムで撮ってみたいと思っている。ともに電池を一切使わないフルメカニカルシャッターのカメラだ。当時は機械式カメラの中で最高峰だったフラッグシップカメラが、デジタル時代の現代ではひと息つける癒しのカメラになった。僕らはつくづく幸福な時代を生きてるんだなと思う。さて、そろそろ眠りにつこう。明日の散歩カメラを想像などしながら。

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