デジタル前夜、フィルムを諦められない気持ちって絶対あったろうな。

Nikon F6, 50/1.4D, Fuji業務用100

僕がカメラを始めたのはここ3年ほど、フィルムにいたっては今年のことだから、世の中がフィルムからデジタルに変わろうとした時代の真っ只中のことは分からない。でも、容易に想像がつくのは、人々がデジカメで始めて撮って見た時に「え?なんか生っぽくて嫌だ」みたいな印象を抱いたんじゃないかってこと。その渦中にいた人たち、どうだろう。

とはいえ、デジカメは夢の新製品だったろうね。だってフィルム代はかからないし、撮ったその場で写真が確認できる。たぶん、写真をやる人たちのすべてが夢見た製品だったはずだから。でも、仕上がる写真だけは、夢のようではなかった。想像だけど、そうだったんじゃないかな。

今もこうしてフィルムにこだわって写真を撮る人たちが少なからずいるし、僕だって年をとってからフィルムに出会い、いまこうしてフィルムのありがたみを痛感している。それは、フィルムカメラのレトロな味わいもそうだけど、やっぱりフィルムでないと撮れない写真があるからなんだよね。

デジカメの進化はその後凄まじく、画質の向上、恐ろしいくらいの高感度性能、デジタル技術の恩恵であるあらゆる撮影サポート機能、どれをとっても今さらフィルムカメラを選ぶ理由なんて懐古主義以外は見当たらない。フィルムカメラが持っていたいい意味での緩さとは真逆の進化を高速で遂げ、それはたぶんAI化みたいなところまで突き進んでいくんだと思う。思うに、写真とは「フィルムで撮った写真の質感」だったものが、この20年くらいで「デジタルで撮った写真の質感」へと変わったということなんだろうね。フィルムで撮った写真の質感は、ノスタルジックなものへと置き換わっていった四半世紀と言えるのかな。

僕は近ごろ、デジカメで撮ることも多いし、嫌いじゃない。オールドニッコールをNikon Dfにつけて、あれこれマニュアルライクに写真をゆっくり撮る行為はなかなか楽しくて、デジタルでしか撮れない写真の質感をあれこれ探っていたりする。それでも、こうして少々手間暇のかかるフィルムカメラを持ち出して写真を撮るのは、デジカメがフィルム写真の質感をほぼ100%再現できるまではやめられない。ほんと、いっそフィルムの質感の写真しか撮れない(結果、自動で加工するということになるんだろうけど)デジカメが発売されればいいのにとさえ思うけど、そういう動きがないところをみると、あまりニーズは無さそうだけどね。

フィルムにしか出せない光と影、よく言われる粒状感、階調性みたいなものは、利便性という進化に飲み込まれて本当にやがて無くなるんだろうか。このフィルムでしか出せない質感の写真をこの世から無くしていいんだろうか。といってもそれは僕の思いであって、この世の多くの人の思いではないから、この世界の片隅の小さなブログの中でしか叫べないわけだけど。ふと、この写真を見て、そんなことを考えた。

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