デジタルな現代だからこそ、フィルムがいる。

Nikon F2, Auto 50/1.4, Fujifilm 業務用100

みんながそうかは分からないけど、僕にはそうだ。週のうち五日間はたぶん普通の人より多めのデジタルな環境に囲まれて生きている。その延長線上でいえばデジタルな趣味があってもよさそうだけど、僕の趣味とはどれもアナログ的だ。

ロードバイク、スイミング、ランニング、そしてフィルムカメラ。どれもが風や土、水、緑を全身で感じることがベースだ。カメラについてはデジタルでも撮るけど、その触れ方はアナログなカメラの延長線上にある。つまり、ふだんのデジタルと反作用するアナログなことが、なんとか僕の生き方のバランスをとってくれている。

デジタルな世界で溺れないようにアナログでバランスをとる。このことは言うほど単純でも無いし、軽い話ではない。決して大げさではなく、人間が生きる根源的なバランスの話なんじゃないかと思う。世の中、万物は表と裏、光と影、正と悪といった相反するものがバランスをとりあって成立している。そんなことを思うようになって久しいけど、今では何をするにもそのことが脳裏にある。

僕もいい歳なんで年代のせいかなと思うところもあるけど、世の中が曲がりなりにもフィルムカメラ人気などと聞くと、若い人だって潜在的にデジタルばかりの世の中でなんとか相反する要素をじぶんにとりこんで、この世の中を必死に泳ぎ切ろうと思ってるんじゃないかと思う。必死というよりは、もっと無意識なものか。デジタルを敵視するんじゃなくて、デジタルと軽やかに同居するかたちでアナログなものと上手に暮らす。そのためにフィルムカメラというのはとても自然体でフィットする。

何もかもがデジタルデータでくっきりはっきりするんじゃなくて、あえてくっきりはっきりしていない曖昧なもの、不便なもの、面倒くさいものを混ぜる、しなやかに。平日のオフの日にめいっぱいクラシックカメラのことをインプットしようとしているじぶんがいて、ふとそんなことを思った。

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