デジタルでフィルムのように撮れないなら、フィルムの存在価値は続くというロジックは案外あるんじゃないか。

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Konica C35, 38/2.8, FUJI FILM業務用100

僕が撮る写真はすべてJPEG撮って出しである。となると、どうやってもフィルム写真とデジタル写真のできあがりはかなり異なるものになる。最近はフィルムでもデジタルでも両方を楽しむ術を得てきたところがあるんたけど、それは正確にいうとカメラを操る楽しさや古いレンズを楽しむおもしろさのことで、できあかる写真の質感や風合いについては、フィルムとデジタルはやっぱり別物なのである。

で、フィルムとデジタル、どっちの写真の質感が好きかといえば、それは断然フィルムということになる。だから、デジタルの利便性やコストのよさで、あのフィルムの写りが楽しめたらどんなにいいだろう!と、デジタルの使い勝手をいろいろ試しているようなところがある。でも、フィルム風加工アプリでも使わないかぎりはそんなことは難しいし、フィルム「風」には似せられてもフィルム「そのもの」のようには撮れない。この事実は相当でかいわじゃないかと最近思うんだ。つまり、フィルムの写真にしか出せないあの感じというのは、現代のテクノロジーではデジタルには真似できない。で、今もフィルムがこの世に残り続ける理由は、やっぱりあのフィルムにしか作り出せない世界を忘れられない人がまだ相当数存在するということなんじゃないかと。

この、どちらも写真と一括りにされてしまうものの、到底埋めることのできないフィルム写真とデジタル写真の差がある以上は、フィルムは無くならないんじゃないかと。もっといえば、デジタルでもフィルムのように撮れる日がテクノロジー的にやってきた時、フィルムはこの世から無くなるんだろうなと思ったんだよね。思いついたことをガッと書きなぐったので文章的におかしなところもあるかもしれないけど、とても大事なことだと思ったので、ブログに残しておこうと思った。これだけテクノロジーが進歩してることを考えると、いつかそんな日が来る気がしないでもないけど、あのフィルムの質感を本当にデジタルが描けるかというとかなり難しいことだとも思うんだよね。さて、どう転がっていくんだ、この世界。

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