カメラを持つことは、地球を観察することでもある。

Ricoh GR

カメラを持つ、もしくはカメラを持ち歩くということは少し辺りを気をつけて歩くことになる。深層心理の中で常に被写体を探し続けながら歩いているような。そんな常に何撮ろうを思って歩いてるのって精神的に余裕がなくてキツくないか、みたいな考え方もあるかもしれないけど、これは実に脳や視点にいいことだと考えている。

たぶん、カメラをやってる人は少なからずそうだと思うけど、カメラを持つ前は素通りしていたような場所で今はけっこう写真を撮ったりしてると思う。立ち止まったり、引き返したり、しゃがんでみたり、ファインダーで画角を確かめたり。その度に、これまで素通りしていた場所を少なからず凝視したり、その場の空気みたいなものを確かめたりしている。

廃れた看板だったり、錆びた排水管だったり、先の見えない曲がり角だったり、道の脇にひっそりのびる雑草だったり。写真を撮り始めると太陽の光の当たり方も気にし始めるから、時間によっても光の当たり方が違ったりして、いろんな表情を確認することができる。こんなこと、カメラを持っていなければ道端で少々おかしな行動に見えるかもしれないけど、カメラを首からぶら下げておけば通行人の人たちも”あ、何か撮りたいものがあるんだな”と割と放っておいてくれる。そういう意味では、カメラを持つとこの地球の片隅をいろいろつぶさに確認できるんだよね。要所要所で立ち止まりながらね。

僕とカメラの関係はそんな感じ。モデルさんを撮るわけでもないし、死ぬまでに一度は行きたいような絶景を撮るわけでもない。写真は、僕がふだんを生きている、僕の記憶のようなもの。そうすると、写真そのものも大切だけど、カメラと一緒に人生を立ち止まる瞬間や、地球の片隅に目をやる気持ちみたいなものが大切だったりする。そういう呼吸みたいなものを僕はRICOH GRと楽しみたいと考えている。

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