カメラは何でもいいとも言えるし、何でもよくないとも言える。

少なくともカメラやレンズが撮るわけじゃなくて、撮り手が撮りたい場所を見つけ、タイミングを見計らい、露出やピント、水平なんかを見て撮るわけだから、写真とはやっぱり撮影者次第なんだろう。とはいえ、性能の優れたカメラやレンズ、もしくは世界観の異なるであろう機材があれば”もっといい写真が撮れるんじゃないか”と思うのも至極当然で、これも写真をやっていれば当然思うところ。つまり、この議論には”いい写真とは何か”と同じくらい答えのない永遠のテーマというかサガと言うか、そういうところがある。

なんでこんなことを改めて思ったかというと、さっき移動時間にKindleで田中長徳さんが書いた本「カメラは知的な遊びである」と「カメラは私的な遊びである」を読んだからである。カメラを始めた頃に買ったものだけど、いつもKindleの中に入ってるからこうして空き時間ができると再読していて、その割にいつも気づきみたいなものが出てきて不思議な本だとも言える。長徳さん曰く、一眼レフのフラッグシップ機の性能を最大限引きだせてる人なんてプロにもいないし、性能面だけでいえば必要ない的なことを書かれていてなかなか痛快な本なんだけど、長徳さんは仕事でどうしても要求されない限りはRAWでも撮らないでいつもJPEG、しかもいつもラージサイズでノーマルでしか撮らないと決めているらしい。それでもB0に引き伸ばしてもまったく問題ないといい、そんな素人みたいなセッティングでちゃんとした写真があがるんですか?と半信半疑だったまわりの人も、あら全然いけますなと驚くらしい。まあ、この話はあくまでも長徳さんほどの人がやるから成立する話かもしれないけど。でもまあ、カメラとは何なのかと考えさせられるところはある。

僕の場合だと一眼レフを手放してGRだけにして何か困ったり性能不足を感じているかといえば確かにそんなことはまったくない。じゃあGRが最高のカメラかというと性能面でいえば夜はこの写真のように全然ピントもブレもまあやんちゃに飛んでくれて笑うんだけど、まあ何というかカメラのせいなのか僕の腕のせいなのかそんなことまったく気にならないし、そういう不完全さがじぶんでは気に入った写真の一枚になったりする。長徳さんが書いてたことで印象的だったことのひとつに、新しいレンズを人が手に入れる時っていうのは、それで腕があがる云々よりも、それによってどこか閉塞感のあるじぶんを打開するために買うんだみたいなこと書いていて、あ、そういうとこあるたしかにとか思ったりね。そうやって考えればカメラやレンズなんて何でもいいとも言えるし、いやいやそれによって新しい世界がひらけるという意味では何でもよくないとも言えるし、尽きないよねこの話は。ただ、少し思ったのは、この写真やるなと思った人は大抵何の機材で撮ったみたいなカメラのことは語ってないなあという気はたしかにした。そういうの超越しちゃうんだろうな、本当にハマると。やっぱりカメラとか写真とは深い。僕はまだほんの入口にいる。

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