カメラにとって存在感の希薄さは最大のメリットになる。

Leica M3, Planar T*2/50, Lomography400

カメラとは不思議な道具で、所有者にしてみれば思い入れはとても強く、そのデザインやヒストリーに並々ならぬ想いを馳せる。でも、撮られるヒトやシーンにとってみれば、むしろその存在は希薄であればあるほどいい。家族を撮るにしても、街中でスナップを撮るにしても、ポートレートを撮る時もそうなのかな。カメラなんて相手に気づかれないほど存在を無かったことにするくらいのほうがいい。そこには所有者と撮られるシーンの間に驚くほどのギャップが存在する。そこがまたおもしろかったりするんだけどね。

僕がスナップで使うカメラはレンジファインダー。撮られるヒトからすれば、いわゆる報道カメラのようなゴツい一眼レフじゃなくて、どうかしたらコンデジみたいなものだから、一瞬目を向けられてもいい感じで無視してもらえる存在感の希薄さがある。撮ってる僕にしてみれば、ファインダーの中にちらりと見えるまぶしい光景にハッとしたり、その操作性の精密さに心の中で唸ってたりするんだけど、そんなことは相手にしてみれば知ったこっちゃない。その知らない、興味もない関係性が街の素顔を切り取るにはとても都合がいいんだ。

カメラも僕もまるでこの世に存在していないように、街の雑踏の中に紛れ込み、溶け込んで、もっと言えば透明人間であるくらいの消え方がいい。決してこっそり撮るわけじゃなくて、こちらも撮るヒトたちの存在が希薄になるように街の空気をつかむことに神経をそそぐ。存在感の希薄さはお互い様のような関係性。そういうところがスナップのおもしろさなんだろうなと最近感じるようになった。

明日からしばらくまた出張に出る。もちろんカメラも一緒だ。これまでならGRとKonica C35の出番だけど、今夜はLeica IIIaにILFORD XP2 400をフィルムカットして詰めている。バルナックでモノクロ、初めての体験だ。いつもC35とカラーネガで撮り慣れた街が、どんな風に姿を変えるのか。そして、バルナックに少し慣れてきた僕はフィルムコンパクトのように存在を消せるのか。そんなことを考えながらそろそろ眠りにつこうとしている。カメラのこと、写真のことを考えるのは、実に人間くさいプロセスだ。だから終わりがないし、答えもない。ただ撮ることでしか気づけない。だから、おもしろい、無限にね。

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