カメラがあると、何が変わるのか。

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おはよう日曜日。きのうのスイムの疲れがほどよくからだに残り少し気だるい朝だから、散歩してほぐしてこよう。

ひとまず僕にとってカメラは散歩の友であることが大きい。以前、犬と暮らしていた頃の名残りかな、朝晩毎日近所を愛犬と歩くのが日課だったから、今は朝晩カメラと歩くとなんだかリズムが保てる。わりと自然の多い辺りを歩くから、道端の草花や匂いに四季の変化を感じることができるのもいい。たいてい一人で歩くわけだけど、カメラと露出を計ったり、ファインダーをのぞいたり、フィルムを巻き上げてシャッターを切る行為は、静かな作法の中で実にいろんなことを考える。目の前の風景のことだけじゃなくて、過去とか未来も頭に思い浮かぶ。そういう時間が僕にとってカメラがあることのいちばんの豊かさかな。実に平凡だけど、カメラがあることの幸福です。

あと、カメラがあると変わること、大袈裟にいえば世界が変わるということ。世界はグローバルの世界のほうじゃなくて、じぶんの行動範囲とか思考範囲とかの世界のほう。カメラって当たり前だけどiPhoneカメラのようにボタン押すだけじゃない。撮るにはそれなりの知識が必要になるわけだけど、この知らないことを学んで吸収していく感じが実にいい。そして、その情報を得るためのルートも増える。本だったり、人だったり、お店だったり。とにかく終わりのない毎日の積み重ねの何かみたいなものが始まる。日々、新鮮なことを吸い込んで生きてくみたいなね。そういう意味では手軽なカメラより手間のかかるカメラのほうがおもしろいのかもしれない。

手間がかかるもののほうが、愛着がわくもんね。ビンテージの車なんかに魅せられている人もそうだろうし、僕のフォロワーさんの中にはわざわざ故障を直すことを趣味にジャンク品からビンテージカメラを(壊れていないものはむしろ買わない)選んで日々、試行錯誤しながら修理を楽しまれてる。それだけ苦労を共にすると、その時間は濃密になって忘れないし、何か通りすぎる時間というよりは、立ち止まりながら時間を積み重ねて行く確実さみたいなものがある。あと、カメラなら写真をのほうの知識だったり技術だったり、それはそれは終わりのないほど得られる世界は広くなる。カメラや写真に限らずだけど、カメラを持てば比較的簡単にこんな風に世界が変わるのが、僕はいちばん偉大なことなんじゃないかと思っている。そして、そんなことを感じさせるカメラ好きな人のブログを見つけるとさらにニヤリとして楽しい。

さて、その手間のかかる、でもその分愛おしいカメラたちにフィルムを入れて、朝陽をあびてこよう。みんなもよい日曜日を。

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