にんげんは完璧じゃないという前提について。

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Ricoh GR

なんだか忙しくてTwitter見たりブログ書いたりする時間がなかなかなくて焦るけど、ブログをひらくとやはり落ち着く。わが家に帰ってきたような。

Twitterの買収話がどこかに吹き去ったようだけど、ディズニーやGoogleなんかがTwitterの買収を見送った要因のひとつに「誹謗中傷の温床」の側面があるという記事を読んだ。僕はSNSと呼ばれるものの中でもTwitterがいちばん愛着があるし、唯一のソーシャル”メディア”(ソーシャルネットワークではなく)だと思っている。だけどその匿名性ゆえか寄ってたかって人や企業を叩いたりする光景はやはり閉口する。

ふとじぶんを振り返ると、にんげんは完璧じゃないことを嫌というほど感じるものなのに、他人のことになると匿名ゆえに厳しくなる。そして、他の人の言動にかぶせるようにそのボリュームは大きくなっていく。人はもちろん理想の姿や完璧をめざすところはあるわけだけど、少なくとも僕はそんな完璧な人を見たこともないし一人も知らない。むしろ、仲がいい人はウィークポイントが見えて未熟な僕でも心許せる人だったりする。世の中はすっかり失敗しないことが優先される風潮になってしまってるけど、そもそもにんげんは完璧じゃないという許容みたいな空気が出てきてほしいし、そういう空気の中からしか人や時代の発展みたいなものは生まれない気がしている。

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