「カメラといえば一眼レフ」だった僕の変化。

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Leica M3, Planar T*2/50 ZM

過去にも何度か書いてきたんだけど、僕が初めてカメラらしいカメラを手にしたのは、デジタル一眼レフのAPS-C機 Nikon D5300。その後フルサイズのD750へ移行して、すっかりカメラの魅力のトリコになった。購入当時はカメラの知識もほとんどなく、漠然とカメラが欲しいなと思った時には「イコール、一眼レフのこと」としか思い浮かばず、いわゆるコンデジとかではない本格的カメラの世界にほんと感動の日々だった。

たしかこの頃に、何かカメラの知識が身につく本を読みたいと思い、Kindleでたまたま購入したのが、田中長徳さんが書いた2冊の本「カメラは知的な遊びなのだ」とその続編「カメラは詩的な遊びなのだ」。この本の中に、やれ銀塩カメラだのレンジファインダーだのミラーレスだのカメラのジャンルらしき言葉がいくつか出てきて、それでもそれらは亜流で一眼レフこそが主流のカメラなんだと思いながら読んでた記憶がある。

けれど、いま現在の僕はどうかというと、一眼レフはもちろんデジタルもフィルムも所有しているけど、日々の軸足はどこにあるかといえば、レンジファインダーなんだよね。ライカであり、Konica C35であり、Rollei35。いわゆる素通しのガラスのファインダーをのぞいて撮ることがどちらかといえば僕のスタンダードになった。

その要因として最も大きいのは、平日に街中でスナップを撮るようになったこと。そのコンパクトで控えめなシャッター音、そしてほぼ目測だったり、露出セッティングを固定してどんどん素早くシャッターを切りながら歩く感じが、僕のカメラの軸足をどんどんレンジファインダーメインへと移行させていったんだよね。

おもしろかったのは、あれだけ一眼レフこそがカメラの主流だと思っていたのが、フィルムカメラやスナップの世界ではむしろレンジファインダーのほうが主流で、デジタルだってミラーレスのほうがその界隈の人たちの主流だと気がついたこと。これはたぶん、僕がかつてのように週末だけじっくりファインダーをのぞいてシャッターを切る生活を続けてたら、今も「カメラとは一眼レフのこと」と思いま続けたままだと思う、きっと。

一眼レフの漆黒のファインダーの中で獲物を捕らえるような濃厚な撮影感覚は今でも実に楽しくて、豊かな時間でもある。レンズもマクロから望遠ズームまで多彩なんで、息子の学校行事やスポーツ行事なんかの撮影にも一眼レフがあればオールマイティーに写真におさめることができるしね。

けれど、ふだんレンジファインダーで撮るようになってからは、寄れないレンズにも慣れたし、ズームのないMF撮影もふつうになったし、思い出を残すということでいえば息子のアップ寄りの望遠写真より、むしろ50mm前後の焦点距離のレンズで周囲の背景まで写り込んだ写真のほうが、後に思い出を振り返る息子なんかにしてみれば嬉しいんじゃないかと思うようになった。

息子も中学生になり、あまりズームで寄りの様子を撮る世代でもなくなったし、もうしばらく望遠ズームの必要性は学校行事なんかで撮影に適した機材を見極めていきたいとは思ってるんだけど、その結果次第では僕のスタイルは完全に「カメラとはレンジファインダーのこと」へ移行するかもしれない。いま、なんとなくそんな予感がしているのである。

趣味性として二眼レフとフィルム一眼レフの数台は残すとは思うけど、街中でスナップを撮るのも、週末に散歩カメラするのも、家族の写真を撮るのも、いくつかのレンジファインダーですべてをこなす、そんな感覚。どうなのかな、それが自然な流れなのか、それとも少し特殊なことなのかは分からないけど、だんだんと息子も成長し、僕のカメラ観も成長するにしたがって、そんなことをふと考えている。

カメラも自然と増えてきて、意図せず今は15台になり、そろそろ深く使うカメラを絞り込みたいというじぶんもいるし、実際一つひとつのカメラと濃密に過ごす時間も分散されていることも事実。いろんなことが重なってきて、そんなことを考えるようになってるんだろうなと思う。綺麗な写真とか上手い写真を撮るのなら一眼レフが最強の機材であることは変わりないんだろうけど、僕が撮りたいのは上手い写真より、ブレたり甘かったりしながらも魅力的な写真。そういう意味でもレンジファインダーが性に合うようになってきているかもしれない。そんな心境の僕がこの先どう転がっていくのか、楽しみながら観察していきたいと思う。

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